何がどこで何のヒントになるかわからない。


アダルトファンの方なら「高橋しょう子」は知ってると思う。

彼女の作品のなかで、ケンカしている堅物親父と浮かれ息子をメイド役の彼女が仲裁に入るシーンがある。

アニメのなかのメイドのように、
身体を上下に揺らしながら、
「もうケンカはヤメてくださいよ!」と
仲裁に入るのであった。

感情の高ぶりが身体を上下に動かし、
彼女の大きな乳房も揺れるのであった。

揺れる乳房に気をとられる親父と息子は
ケンカを忘れ、彼女に夢中になるのであった。

メイドコミックにはよくあるシーン?なのか、
私はそのシーンをなんとなしに眺めていた。

それから数日後、そのシーンがあることのヒントになった。

大事なのは、還元する何かを持っていること。

その何かとは人それぞれ。

仕事や趣味、なんでもいい。

単純に生きること、でもいい。

とにかくその何か以外が全てヒントに見えるぐらいに、
その何かを一生懸命やってみることかもしれない。

その何かをやればやるほど、
その何か以外の全ては、絶好のヒントになり得る。

ヒントになり得る状況は、
とても楽しいものだ。

有意義だ。

たかしょーの乳房に。

誰かとの会話のなかに。

ふとした景色のなかに。

日陰で休む愛犬の様子に。

寝そべる三匹の猫の様子に。

折れて落ちてきた枝の様子に。

神社のコマ犬をシャッターに納めようとする少年の様子に。

言葉が出ないほどの大迫力の滝の景観に。

サイレンを響かせ、先を走っていく救急車の様子に。

人目のつかない裏庭でひっそりと生えている雑草の様子に。

至るところにヒントが転がっている。

肝心なのは、お金や名誉や実績や夢や希望は転がっていないということだ。

そのヒントが転がっている。

それがヒントだと気づくかどうかは私次第。

たかしょーの大きな乳房に感謝します。

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