しけった礼砲


思考あれこれ..な文章。

言葉や言い回し、格言、ことわざなどとの出会いは素晴らしい。

思考の幅が広がるからだ。

お~なるほど..という思った言葉と最近出会った。

過ぎたるは及ばざるが如し

なんか響きもカッコいい。

如しという終わり方がカッコいい。

歯切れよく終わるのがカッコいい。

そして、その意味が今の自分に響く。

これをゴルフに例えてみよう。

ショットを打って、全然飛ばないことと、幾ら飛んでも、グリーンを大きく過ぎてしまったら、同じということ。

飛距離があることは凄いことだけど、それに注目がいきがちだけど、距離感がなければ台無しということ。

距離感。

色んなパターンに当てはめてみる。

これが愛の告白だとしよう。

愛を伝え過ぎるのは、聞こえない声で愛してる..と言うことと同じことなのか。


練習のし過ぎはどうだろう?

愚直な私はいつも練習し過ぎる。

全てが怖いからとにかく、練習に没頭する。

スポーツ選手などでも、練習のし過ぎて体を壊して、失敗というパターンがある。

過ぎることはよくないのか。

それがプラスなことでも、それがプラスを目指す行為でも、それは及ばざるが如しなのか。

要は全体のバランスが台無しになるまで、やることはないってことなのか。

でも過ぎる練習で台無しになった後、その後、立ち上がった時、バランスの土台が強くなってるような気もする。

100m走の新記録が更新される。

それは早過ぎることだ。

早過ぎることは、とても遅いことと一緒なのだろうか。

徳川家康は

過ぎたるは及ばざるよりも劣れり

..と言い切ったそうだが、過ぎることは及ばないことよりも劣ると言い切る、その理由を尋ねたい。

これを侵略戦争に例えてみよう。

相手の国を侵略するという行為が人間として過ぎることだとしたら、及ばないほうが良い、そういうことなのか。

バスケットのゴールが浮かぶ。

バスケットのゴールに背面のボードがなく、ただ、ゴール穴があるだけだったら、シュートがもっと慎重になるだろうな。

でも結果、人の能力は上がるような気がするよ。

背面のボードに当たってゴールに入るのは、過ぎたることをカバーしてるようにも見える。


この言葉に行き着いたきっかけは、超純水について調べている時だった。

超純水、混じりっ気なしの水(H2O)は実は体に悪いという記事だった。

料理や化粧水などの素材を掛け合わせたり、溶かしたりする時はいいけど。

でも、超純水で体を洗っていると、肌が乾燥してその内、カサカサになって皮まで剥けてくるらしい。

健康な肌とは、肌に生息している細菌のバランスが良いことなんだとか。

超純水はその細菌バランスを台無しにしてしまうんだとか。

そうきれい過ぎることは、きれいに及ばないことよりも劣っている、ということ。

「きれいな感覚、雰囲気は間違った方向に進んでいる場合が結構ある」という言葉を思い出したが、それと似ている。

美しい、きれい、それは本当に尊いことだが、危険な場合もあるのだ。


これが例えば、車の停止ラインだとしたらどうだろう。

過ぎたことで起きる事故の確率は高い。

これは間違いなく、過ぎることのほうが劣っている。


及ばざるは過ぎたるよりも劣れりという発想はどうだろう。

例えば、打ち上げ花火、低く及ばず見えないことと、高過ぎて見えないことはどっちが良いのだろう。

高過ぎて見えないということはないと思うし、低く及ばずは危険でもある。

過ぎたほうが良いこともある、と恐れながら家康さんに屁理屈をコネてみよう。


例えば礼砲はどうだろう。

空に向かって礼砲を放ち、相手方に礼を示すのに、
しけった礼砲と、鼓膜が破れそうなぐらいの礼砲はどっちが良いのだろう。

どっちにしても、真上という方向がしっかりしていることが前提だが。

真上に丁度良い按配でありますように。

夏の花火に対して言っているみたいだ。

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