怒りの拳は涙で冷やすことにしよう。


ギターを弾いていて、ふと涙が出てきた。

なぜだ?何か悲しいことがあったかな..と
プレイを続けていると、

ふと、2年前ぐらいに亡くなった遠い親戚の死を思い出した。

親戚の姉の夫であるその人は
幼少時から心臓が悪く、2年前ぐらいに亡くなったのだ。

2回ぐらいしか会ったことはなく、
覚えてる会話もない。

ただ笑顔の印象が強い、優しい感じの人だった。

幼少時から体が弱いことは、
きっと人と接する術も争いのない方の進化をするのかもしれない。

彼の死を聞いても、私はひどく悲しくはなかった。

涙を流すほどではなかった。

2年以上経つ頃になると
彼のことも思い出さなくなっていた。

それがふと思い出すから記憶とか感情ってわからない。

自分の心は自分の脳や胸や腸など
体内にあるようでいて、
実はとても捉えがたい見えないものなのかもしれない。

涙を流しながら、プレイを続けていると
姉の気持ちを想像した。

想像した時にとても涙が出てきた。

姉とは幼少時よく遊び、人柄も性格も感じも知っている。

最近は疎遠だが、
幼少時の記憶は強い。

その姉の気持ちが入ってきたような気がした。

残された人の悲しみほど..

残された人の悲しみほど..

あなたには毎日、会話する人がいるだろう。

家族や友人、彼女など
会えば当たり前のように挨拶をし、
他愛もないような会話をする人が。

面白い話や笑った瞬間、つらい日々を無言で2人で頑張った日々、
悲しいことを共有した瞬間..

命や生きることは動きがあって、
熱があって、たまに冗談があったり、
悲しくなったり、面白かったり、

そんな共有した間柄の相手が
横たわったまま、動かなくなって、
硬くなり、冷たくなるのが、とても悲しい。

死の悲しさに度合いなどないと思うが、
あるとすれば、やっぱり若い人の死は悲しい。

生前と死後の差が激しいからだ。

もしも120歳ぐらいまで生きて、
もう最後のほうは半分死んでるような動かなさのなかで
死を迎えた老衰は、ショックが少ないと言えるのだろうか。

私は泣きながら、泣いてる暇などないと思っていた。

本当に他人の悲しみで泣いてる暇がないほど、
私は追い詰められている。

でも泣くからこそ、次に行けるとも言うので、
自分の涙の湧きどころが、わからなくなってしまうよりかは
マシなのだろうか。

怒りの拳は涙で冷やすことにしよう。

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